布施明がいいこと言っていたのでメモ(NHKスタジオパーク)

お昼にぼーっとテレビを見ていたらスタジオパークで布施明氏が出演していろいろ語っていました。なんだか強烈にいいことを言ってました。「これはきかなくては!」とねぼけ頭が信号を出しているんですが、なにせねぼけ状態なのですべて覚えてないのがとても惜しまれます。しかし忘れないためにもとりあえず、断片的に印象に残ったところをここに書いておこうと思います。再放送してくれないかしら。
長くなりそうなんで↓
・若い頃は何が自分の歌なのかがわからず、とにかく休んで勉強したいと思っていた。休業しようと思った矢先、シクラメンのかほりが大ヒットして休めなくなってしまう。歌というより音楽そのものをもっと勉強したかった。
・結婚でアメリカに移住後、ようやく音楽学校で本格的に学ぶ機会を得る。アバを教えていた先生に「君の声はテノールじゃない(少なくともハイテノールではない)高い音が出せるからといって本来の自分の声と違う音域で歌うから無理がでる」といわれる。
・音楽を解釈する上で自分の「ものさし」があって、そのものさしがちょっと伸びるたびにずいぶんいろんなことがわかってくる。だから歌うことはいつも発見。
・10年休んだら、戻るまでに10年かかった。この世界では自分の座っていた椅子が空けば代わりにそこに座る人がちゃんといる。
・戻ってきたとき、はじめて過去の歌が財産なんだと思えた。
・歌を歌うことはプロにとってただ楽しいことではない。悲しくつらいことでもある。

世の中でこんな歌がうまいと評価されている人でも、トライ&エラーな歌人生だったんですねえ。逆にその評価とか、こう歌ってほしいという期待が足かせになっていた部分があった気はします。大きなヒット曲を持つ人には共通の悩みだと思いますが…。歌は生ものなので、そのときのその人の歌は結局は一度きりのもの。歌は変わらなくても、時代も歌い手自身も変わっていきますからねえ。
あと、彼にとってはこのアバを教えていた先生のアドバイスも大きかったと思います。生徒さんにもいつも言っていることですが、自分の声って、自分でわかっているようでなかなかつかめないものです。まずもって人間の耳の構造上、自分が聴こえている声は厳密には外に出ている声とは違うというハード的な問題もありますが、それより大きいのが自分を客観視することの難しさだと思います。それが布施氏の場合は音域だったわけですが、高い音域というのはインパクトがありますし、出れば気持ちいいもんですから、誰しも出る人はついついキーを高めで設定してしまいがちです。しかしそれがテニスでいうところのスイートスポットというか、「美しく届く」声であるかどうかはまた別物ということです。最近は歌のうまさ=高い音域みたいな風潮があって、それもつねづね疑問なのですけれども、こうした音域を含めて客観的に自分の声を知るということはとても大切なことです。たぶん布施氏が「休んで学びたい」と思ってたのも、そういう「客観的な視点」が必要だということを経験的にすごく感じていたからじゃないかなと思うんですよね。ただのわがまま病じゃない感じ。この「自分の声を知る」ことに関しては、私も生徒さんに対していろいろやってますので、また近々エントリをたてて書きたいと思います。
…と話が長くなってしまいましたが、布施氏もいろいろと悩んだんだなあということがよくわかる番組でした。しかし最も大切なことはそのときどきでいつも迷いはあると思いますが、どんな状態であれパフォーマンスのときは今の自分の歌を「信じる」ことだと思います。音楽をやるということはある意味宗教というか(変な意味じゃないですけど)相手にどれだけ自分を「信じて」もらえるかみたいなところがあって、それが「圧倒」なのか「共感」なのか「まやかし」なのか「ねじふせ(?)」なのかはそれぞれいろいろあっても、基本はそこだと思うんで、やっぱりそのためにはまず自分が自分を信じてないとダメというか、グラグラしちゃダメということですね。このへんは自分にも言い聞かせたいところであります。

それにしてもこの番組、いつも思うのですが進行の武内アナの質問がちょっとつっこみ足りないというか…時間がいつも足りないからでしょうか。「あーここもうちょっと広げてほしい」というところで質問終わっちゃったりして、今回もちょっとそのあたりが心残り。ほんとすばらしいお話だったんで、もうちょっといろいろ聞いてみたかったなあ。
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